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6.借り物

合弁会社と組織

 第1の例は30年ほど前の話,40社あまりの大会社の出資で原子力の平和利用を進めようという会社ができた。精鋭を集め学会や財界のバックも資金も確かで,立派なスタートであった。
 それにもかかわらず,新入社員の筆者を含む社内の仕事ぶりはひどく混乱していた。作業工程表を月の初めに渡され,月末までの予定を上司の指示で点線で書き込むこと,という規則だが,そんな指示が出たことがない。毎日その日にどの番号の作業を何時間行ったかを記入する規則なのだが,月末にでたらめに作業時間を割り振ることになってしまう。
 カードは毎月回収され,種々な統計や分析,経営の判断や業務の改善に使われる。だが一番肝心のデータの採集のところがいい加減なので,いくら凄いコンピュータで分析してもガーベージ・イン→ガーベージ・アウトになるだろうと,ずっと気になっていた。
 こんなことの起こる原因の一つは,このやりかたが立派な親会社からの借り物であったためのようだ。元の会社では,その旋盤にかかった時間がいくら,機械が空かないように作業の配分を職長が月初めに定める,といった手順が不可欠だから,そうした必要上このように定められていた。それをそのまま机と紙と筆記具しかない職場に持ってきたから,何とも実情に合わないことになった。

労働組合の儀式

 第2の例はその後,筆者が労組の副執行委員長であったときのことである。組合の代議員会で,その形式主義に嫌気がさして「もっとフリーにやろうよ。これじゃ会社の部課長会よりひどいよ」と発言した。
 そのときまで寛容に筆者の随時の暴走を許していてくれた執行委員長が,珍しく厳しい口調でたしなめた。代議員会は組合の最高議決機関であり,会社なら株主総会に匹敵する。そう軽々にものを言わず,慎重に運営するのが当然だ……と。その時勢の流れから見れば,彼の意見は恐らく正しい。そう思ったから筆者は折れてそれに従った。
 だが,こうした各々の認識と行動が合成され,その後の形式主義からの脱皮をはばみ,結局は労働組合あるいはその支持政党が教条主義に留まり,時代への適応性を失っていく原因となったと思わざるをえない。

“借りもの”民主主義

 戦後に民主主義が我が国に入ってきたとき,前述の2例とよく似た現象が随所に見られたようだ。国会から学校の生徒会にいたるまで,それらしい形になったが,中身はどうであろう。
 だいいち国会や地方議会あるいは学会や委員会などの討論を見聞すると,民主主義の基本である意見の発表や討論が,どうもうまく出来ていない。特に他人の意見を取りいれて自分の考えを高めていく「討論」の過程が,西欧のようには機能していないようだ。 いや,民主主義を移植してすぐそれが実行できるわけではない,小学校から生徒会をやってきた世代が成人すれば自然にできてくるさ,という考えがあった。しかしそれなら,もうそろそろ効果が出てきてもよいはずである。筆者が見聞する範囲では,とてもうまくいっているとは思えない。
 発言も討論も本音が出ておらず,議事運営は形式的で,非能率である。国政から地方議会まで,いうなれば愚民が愚者を選出する傾向が色濃く出ている。これは民主主義という形そのものが”借りもの”の段階を脱していないことを意味するのではあるまいか。

借り物から脱するには

 新聞やテレビで現在の日本の政治を批判はするが,悪口を言うだけなら誰でもできる。したり顔の評論ではなく,どうすればよいかの提言がほしい。
 こうしてはどうだろう。「お上の命令だから」「しきたりだから」などと妄信的に従うのではなく,「何故こうするんだろう」「それが必要だろうか」「どうすれば解決できるか」などと,まず自分の頭で考えてみる。それを一人ではなく,個々人が行えばいろいろな知恵が出て,討論も可能となる。なるべくこういう話題を照れずに人と討論すると客観性が得られる。
 もう一つ必要なのは,異論を唱える勇気と,それを支持し,受け入れる理解,あるいは寛容である。設計や研究の打ち合わせも、会社内の会合も,団地の管理組合も,町内会も,地区も,区も市も,県も国も,こうした下からの積み上げがあってはじめて「借りもの」でない運営が,政治が行えるはずだ。

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(初出:トランジスタ技術,CQ出版社,1996年11月号 第33巻 第386号 連載6:借りもの)

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