HOME > 資料・読み物 > 岡村廸夫のページ > 9.傲慢不遜ということ

資料・読み物

9.傲慢不遜ということ

編曲と変曲

 管弦楽による叙情名曲集というCDアルバムを通信販売で買い込んだ。ところが全然いただけない。2枚聞いただけで,後は封も切る気にならなかった。
 どこが気に入らないかというと,編曲である。「浜辺の歌」といえば前奏から全体に流れるさざなみのようなアルペジオが,「人知れぬ涙」といえばホルンの纏綿(てんめん)たる序奏が……などと歌曲が伴奏と不可分な作品が多い。
 このアルバムの編曲者は,そうした部分を引き千切って,聞きたくもない自作の前奏や間奏を傲慢にも長々と挿入した。プロの音楽家がその僭越さを自覚しないはずはない。なぜこんな羊頭狗肉の商売をやるのか。自分の仕事を世に問うつもりなら、何某の変曲とか,責任編集とでも名乗って,不朽の名作,先人の業績を食い物にしない謙虚さがほしい。

団地と大学

 仕事の関係から自宅周辺はもちろん,出先でも気分転換のため頻繁に散歩をする。その結果,しばしば団地に行き当たる。
 あれは大きく敷地を占めているので,その向こう側に出ようとすると,敷地を通り抜けたいことが多い。ところが,部外者は通り抜け禁止とか,中には「X省宿舎につき立ち入り禁止」とまで書いてある。なるほどそこは彼等の敷地なのだろうが,それが存在するために世の中に与えている迷惑を,いったいどう考えているのだろう。
 大学も同じように場所をとるが,これは比較的通り抜けが自由である。そのかわり,どれが何学部で何棟なのかさっぱりわからないところが多い。内部の人は毎日通っているからたいした不自由はない。つまり外から来る人のことは,全然考えていないようだ。

官僚機構と役人

 近ごろ官僚への風当たりがつよい。自分で自分を監督し,処罰するみたいな構造になっているところが,うまく働かないらしい。調べてみると,こうした現象は最近のことではないし,我が国だけのものでもない。お役所仕事という単語が万国共通に存在するから,別に最近の日本に限らず,国民が引き締まっている間は官僚も自省しているから現れず,緩んでくると自己の利益を得放題になって,それで国を滅ぼした例までが実在する。
 その機構の中に埋まってしまうと,月給がもらえるのは当然であって,その月給が国民の税金だとか,たとえば横浜市民の上前をはねているのだということは考えなくなってしまうようだ。

雪かき

 筆者は横浜に住んでいるが,年に一度くらい降雪がある。皆慣れていないので,ほんの10cmも積もると大雪だといって混乱する。
 拙宅から私鉄の駅にいく途中に高層マンションがある。その周囲だけ誰も雪をかかない。駅に行く人の30%くらいが通るその道は,マンションの日陰とビル風で凍ってしまい危ない。
 散歩のついでにある日,管理人室に立ち寄って話してみた。以前東京の団地に住んでいたとき,管理組合で建物の補修をする必要が起こり,意見がまとまらずに困っていた。そのとき月に一度,団地の草取りをしようという提案を実施したところ魔法のようにうまく進んだという実例をあげ,何百戸から10人で済むから雪かきを募集してはと提案したのである。だが,「俺達は税金を払っているんだから,市がやれ」という意見が多いという。そういえば拙宅の付近でも,雪国とは違ってまったく雪かきをしない家もある。
 昨年もまた,その雪は消えるまで道に残っていた。

他人の立場でものが見えるか

 ここに挙げたいくつかの実例はいずれも,相手の立場,当事者でない他人の立場で物が見えていないサンプルである。それが極端になると,傲慢不遜(ごうまんふそん)となる。ガルブレイズ氏がその著書の中で,当時日の出の勢いの経済大国であった日本の行動に対して,傲慢にならぬよう気をつけろと警告している。
 筆者は元来謙虚な性質の日本人に,傲慢という表現を当てはめるのを不可解に思ったが,今はよくわかる。相手の立場がわからない状態では,人は巧まずして傲慢に,不遜になるらしい。
 組織に立てこもったりせず,自分の頭で考え,相手の立場を理解する工夫をしたいものだ。
-■

(初出:トランジスタ技術,CQ出版社,1997年 2月号 第34巻 第389号 連載9:傲慢不遜ということ)

[NEXT ] 10:日本は壊れかけている

ページのTOPへ