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5.整理と頭の関係

建物は新築したが

 当時の我が国の乏しいドルを使って,筆者が原子力の勉強に米国に留学させていただいたのは1964年だった。その間に所得倍増計画を掲げた池田勇人首相が亡くなり,東京オリンピックがおこなわれ,日本は大きく変貌した。帰国して科学技術庁に挨拶に行くと庁舎は前のとはうって変わって,新築されたピカピカの建物に引っ越していた。
 ところが,部屋の中の感じが以前と実によく似ているのである。引っ越して数ヶ月はたっているはずなのに,縄でからげた書類がロッカーの上や前に置いてあり,机の上は書類の山。応対に出てくれた課長さんに思わず「内部は以前と同じ……」と言いかけてしまった。彼はすぐ察して,「外国から帰ると気になるでしょう。建物が変わっても頭の中が変わっていないんですな」と笑った。

日本人は整理下手か

 確証はないが一般に現代の日本人は,同レベルの欧米人に比べて物事の整理が下手な人が多いようだ。最近は日本でも建物は立派になったところが多いが,官庁や大学の机の上やその周辺を,欧米のそれと比べるとよくわかる。
 だが伝統的な和室はものすごく整理されているし,方丈記や徒然草を挙げるまでもなく,昔の日本人はもっと片付いていたらしい。そこに近代文明が押し込んできて,明治以来の消化不良になっているのではないだろうか。
 机の上や下の書類の山をなぜ問題にするかというと,頭の中の整理と密接に関係するらしいからである。机が片付かない同じ頭で働いた結果,家の中は散らかり,事務所はごたごたし,システム設計は不得手で,道路の渋滞は何年たっても解消せず,都市計画は進まず,国の機能は極端に都市に集中する。
 これらはすべて,頭の中が片付いていないことから始まるのではないか。

東京の市街のような装置

 同じことが電子装置の設計にも当てはまる。欧米の装置を見て,きれいに整理されているのに感心した経験は多いだろう。
 それに比べてしばしばお目にかかるのは,全体が継ぎはぎで一貫した設計思想がなく,あちこち堀り返してあり,詰めこみすぎて通風が悪い,モデル・チェンジのときは全部初めから作り直さなければならないような装置である。
 こうなる原因は,要するに物がよく分かっていないからではないか。全体的な考えがまとまっていない段階で手をつけ,徹夜の連続で完成させるとこうなる。重要さの順序が分からず,取捨選択ができない。要りそうなものは何でも取り付けたくなってしまう。
 個々の技術ばかりではどうしてもこうなる。機能は多いほどよく,論文は厚いほどよい……のではない。それから脱皮するには不要なものを捨ててしまう,信念,思想が必要である。

頭の中の整理には

 同じ理由から,身の回りの整理の悪さは頭の中の整理の悪さを意味し,逆もまた真で身辺の整理が悪いと次第に頭も影響される。
 MRIという機械を使えば,頭の中を2mmくらいの厚さに薄切りにした鮮明な写真を生きたまま撮ることができるが,残念なことに,混乱している頭の中を片付ける機械はまだない。
 そのために時間をかけても決して損はないから,机の上,引き出し,ロッカーの中,ファイル,ハード・ディスクの中にいたるまでロジカルに整理して,それを習慣づける。これによって間接的に大脳の中を片付けることができるはずだ。

教育の本来の目的

 それでは遠回りだ,と思われそうだ。しかし教育とは,本来こうして大脳を訓練することではないか。学問とは物事を材料にして考え方,大脳の働き,哲学,思想を訓練すること。それが現在は忘れられ,勉強も試験も知識のほうに重点が行ってしまっている。
 子弟を乳母日傘で育てるのは誤っている。獅子は子を千尋の谷に落とし,キツネは成長した子を群れから追放するというが,なぜだろう。
 間接的に大脳を訓練するためにも,もうすこし長持ちする技術を開発し,蓄積し,街や道を,そして身の回りや机の上下を片づけてはどうだろう。

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(初出:トランジスタ技術,CQ出版社,1996年10月号 第33巻 第385号 連載5:整理と頭の関係)

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