HOME > 資料・読み物 > 岡村廸夫のページ > 8.百万の雑兵と百の精鋭

資料・読み物

8.百万の雑兵と百の精鋭

マルチメディア時代

 世はマルチメディア時代だという。流行に乗ることの嫌いな筆者はまさに天の邪鬼(あまのじゃく)の神髄を発揮して,この流行に異論を唱えよう。
 異論といってもさまざまなレベルがある。資本主義の浪費を否定し,すべからく人間の住居は洞穴に限り,照明は松明(たいまつ)を使うべし……とは正論だが,いかに筆者の信用が厚かろうと,そこまでは読者についてきてもらえそうもない。
 そこで大きく一歩譲って,現在の生活をシンプルにしかも鋭くするにはどうするかを考えてみよう。

CD?ROMの付録

 最近は雑誌にCD?ROMがついているものが断然増えてきた。つい最近までフロッピ・ディスクの1Mバイト分の原稿,単行本でおよそ1冊分を書くのに苦労していたから,いったいその400?500枚ぶんの内容をどうやって作るのだろうと不思議だった。
 だが,これまで貴重だと思っていたCD-ROMのストックが雑誌の付録で近ごろあっという間に増え,それと同時に期待は急速に冷却した。
 中には役に立つものもあるから一概に言っては申し訳ないが,従来のフロッピ・ディスクの400枚ぶんと考えたのが違っていた。一言でいえばチラシである。ちょっと覗いてみるには面白いが,大部分の内容は暇つぶし兼CD-ROMつぶしである。10枚中9枚までその場で捨てても惜しくはない。

百の精鋭を選ぶ

 何をやっても若いとか,新進などと紹介されるのが不満だったが,筆者もちかごろは年を取ってきたせいか,残りの人生に限られた時間の使い方を選ぶようになった。とてもゲームなどでつぶすような暇はない。良く考えてみるとこれは別に年を取ったからというのではなく,若いうちでも同じである。「少年老いやすく学成り難し一寸の光陰軽んずべからず」と教わったのに,振り返れば何メートルもの光陰を軽んじてきた。
 だがこれからはもっと大変になるだろう。本を選ぶにも仕事に就くにも,種類が豊富で目移りがしやすい。どれが本当に価値のあるものか,区別をするのがいよいよ困難となる。 これからの世界では,データでも知識でも百万の雑兵を集めるのは比較的容易である。強力な広告や媒体に頼れば,人と同じものを集めるのもまたたやすい。
 しかし,それを使いこなすまでにはまた新製品が出る,バージョンアップされる,これに翻弄されたのでは,大洋で巨魚の餌食になる小魚やプランクトンに等しい。資本主義が円滑に走り続けるには,餌食も必要である。だが価値のある人生を送り社会への貢献を考えるなら,漫然と餌食になるだけでは満足できない。
 そこでなすべきことは,世の中のさまざまな材料から本物を見つけることである。先生でも,書物でも,ソフトウェアでも百万の雑兵を集めたのでは,その応接に時間がつぶれ,人生が終わってしまう。無数の雑兵とつきあうかわりに百の精鋭を集めたい。どれが雑兵でどれは精鋭か,それを区別するには磨き上げた鑑識眼と経験が必要である。
 流行のインターネットもCD-ROMも文献も,鑑識眼を磨くためのサンド・ペーパーだと思えばよい。

作品の無名化

 近年の困った傾向として,書籍などの発行点数の増加と,作品の無名化がある。例えば一出版社が主義を持って特定の一方式を支持する……というのではなく,例えば80系も68系も,PCもMacも,両方を取り扱う。
 書籍やソフトにしても,同じ著者が同じような本を2社から出したり,一つの出版社が同じ分野の2人の筆者の本を同じころ出したりする。これでは哲学も信念もわからないから,読者が迷うのは当然である。
 そのうえ最近では作品の無名化,つまりソフトウェアや書籍,文献で著者の名前のないものが増えつつある。例えばソフトウェアの解説書の背表紙に著者名がないものが見られ,某社の電子回路講習会のパンフレットには講師の名前さえない。いくらマルチメディア時代でも,こうした知的生産の価値はバイト数できまるものではない。これでは博士論文の価値を厚さで測った話と似ている。
 これからの情報氾濫の時代に,本当の価値はたくさんの情報を集めることではなく,その中から真に光るものを探し出すことにあるはずだ。

-■

(初出:トランジスタ技術,CQ出版社,1997年 1月号 第34巻 第388号 連載8:百万の雑兵と百の精鋭)

[NEXT ] 9 : 傲慢不遜ということ

ページのTOPへ