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11.討論はどうすればできるか

民主主義の基本となる手段

 他人と意見を交換する技術……これは現代の民主主義を築く煉瓦である。「意見を交換」という部分を「討論」,あるいは「議論」といってもよい。
 それは国会の論議であり,装置やシステムの設計,研究の討論かもしれない。だが,その元となる討論の技術,手法,ルールが日本ではどうもしっかりできていない。建築をしようにも,肝心な煉瓦がいかさまだから,能率が悪く,強度がでない。
 イギリスの国会では,首相が手文庫みたいな小箱の上に肘をついて,野党の党首と向き合い,壮絶な論戦をする。日本の国会では「何とか国務大臣?」などと発言のたびに議長が呼び出し,あらかじめ渡してある質問に対する答弁を読み上げる。このありさまを見て外国特派員は,日本は未開国だ,民主政治は借り物だと思うに違いない。

討論の目的はどこに

 この議論下手は国会に限らない。地方議会から町内会まで,会社も労組も,技術や研究の打ち合わせまで,「日本式討論」の弊害に蝕まれてはいないか。その問題点はいったいどこにあるか。
 最も顕著な例は,議論の目的が自分もしくは自己の組織の利益を守るためである場合に見られる。そのときは結論が決まっていて,討論の目的は相手からどれだけ譲歩を引き出すかにある。したがって討論とは形ばかりで相手の言い分は全く聞かず,いうなれば強要,教唆,根回し,買収,などの前段階にすぎない。目的がこれでは,シガラミや権威,コネや金などが動くことになるのは当然の帰結である。
 討論前にみな決まっているから議会はセレモニーでよい。その結果として形式ばかりのあの形になった。
 国や自治体がどう動くべきかを考えずに,自分の支持基盤の利益を考える,それで良い政治ができるわけがない。「おらが町に駅ができるが,先生さぁ日本全体のこと考えてるだべか……」。自分が不便でも,その先までを考える人に投票しないから,こうなった。

討論をする効果

 日本の政治は落第だから,つぎに会社で新規事業のプロジェクトを企画する,新しい研究テーマとその方向を評価する,などの場面を考えてみよう。 最悪のシナリオは,各論者が部門の利益代表となって,自部門のつごうや思惑を主張することである。これも政治を反面教師にすると良く理解できるが,自分の政党や支持者の利益が主体になって,国民全体にはマイナスになることでも平気で押し通してしまう。 社内の打ち合わせでは市場の判断とか,生産能力,納期やコストの判定といった情報収集の意味が大きい。しかしその段階ですでに後の討論の場面を想定して,自部門に有利な歪曲されたデータを用意したりする。

遠慮なく意見を言い評価しよう

 会議,打ち合わせ,討論…何と呼んでもよいが,この種の会合の最大の効果は,銘々が「自分の持っていない考え方に到達すること」にある。そのためには反論,異論には大歓迎で耳を傾けるのがよい。
 米国の研究所に配属まもなくの技術会議で,筆者はいがぐり頭の初対面の男と激しい議論をしてしまった。エレクトロニクス部長だった彼は,この生意気な若造に格別な印象を抱いたそうで,それが今日までの長い付き合いにつながった。
 黙っていれば無事に済む,というのは先進国では日本だけの現象である。自己主張というよりは,発言して社会に貢献しようとする姿勢が,とくにこれからは欠かせない。

討論で意見を変えよう

 日本では逸材がしばしば頑固だと評される。それは異論を聞かず,討論で意見を変えたがらないからである。
 多数の相手の意見を聞き,それを自分の考えに照らして更に一回り深い考えに止揚(aufheben)させる…ヘーゲルの弁証法を持ち出さなくとも,自己のものの考え方を高める手法を持っていなくては,進歩する機会がない。
 それがないから,いったん言い出したらきかないわからず屋になり,いくら議論しても際限がなく,ついに強要教唆,シガラミ買収の類いが幅を利かせる。
 討論とはトーチカにこもり,手榴弾を投げ合うのではなく,相手の意見をいかに取り入れ,いかに自分が成長するかの好機なのである。

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(初出:トランジスタ技術,CQ出版社,CQ出版社,1997年4月号 第34巻 第391号 連載11:討論はどうすればできるか)

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