HOME > 資料・読み物 > 岡村廸夫のページ > 14.経済大国は幸せになったか

資料・読み物

14.経済大国は幸せになったか

資本主義は何を目指すか

 近年になって,共産主義を掲げる国が,社会構造と組織の腐敗が原因で破綻に瀕した。これに対して,多くの資本主義国はそれなりの継続や発展を遂げた。
 この現象を見て,世界は資本主義が理想の,いや少なくとも現実的な社会原理であると認知したようだ。
 それどころか,資本主義はすなわち経済競争・・・社会の需要に応じて儲ける競争をして勝ちさえすればよい,弱肉強食の市場原理こそが資本主義の神髄だと思い込んでいる人が,とくに日本では多い。

それは大間違い

 役所の活性化に,国営企業を民営化して,規制を撤廃して・・・などなど,市場原理を導入し経済効率を高めたというニュースを見聞する。市場原理が競争を増し,経済を活発にするのは疑いがない。
 しかし,「弱肉強食の市場原理が資本主義の神髄」と考えるのは大間違いである。 それなら,我々の多数がそう考えるようになったのはなぜか。残念ながらその原因は,我が国の文化が底の浅い翻訳文化に依存し,一部の専門家を除いてほとんどの人が原著や原典に当たることなく,聞きかじりの情報だけで早急な結論を求めることから生じたと思う。

目的のために手段を選ばず

 具体的な例を商法,宗教,スポーツから挙げよう。商法によると,会社というものは利益を挙げるために存在する。だがそれだけが唯一の目的なら条文は一つで済むはずだ。会社は,利益が出るなら廃棄物を山野にばらまき,政治家を雇い,警察を買収して,有害な食品を販売すべきか。
 宗教では唯一の神を信じ,他は邪宗として追う傾向が強い。イスラム圏の著名な古典には,殺された人がキリスト教徒だから無視できるといった記述がある。これはどんな聖者が説こうと誤っている。自分の宗派のなかだけの博愛では,二つ以上の宗教が存在するかぎり何千年間でも戦争が絶えない。
 スポーツの本来の目的は何だったのだろう。勝つためならいくら金をかけても,何をやってもよいか。何億円のトレード・マネーや100分の1秒を争う競争は,はたして健全な肉体と健康な精神の育成に貢献しているか。

原因は主義や宗派か

 前項は,商業,宗教,スポーツを全部だめだ,存在価値がないと述べたのではない。同じ商法の下で運営されている会社,同じ宗教あるいはスポーツのなかでも運営の違い一つで社会の害毒になるものもあり,灯火となった例もある。
 ソビエト連邦の共産主義が崩壊したというが,古典となった経済学者たちが存命なら,あれは共産主義が滅びたのではなく,それを支えていた人間どもが腐敗しただけだというに違いない。 資本主義も同様である。いま弱肉強食の市場原理だけを信奉したら,共産主義よりももっと顕著な破滅が訪れることは明瞭であろう。その兆候と破綻はすでに幾種もの文明国病として,ヨーロッパ,アメリカそして日本で顕著な症状を表している。
 これは経済の構造や宗派の問題ではない,何主義でも何教でも,そこにどんな人間性や哲学が存在するかで栄えもし滅びもする。
 資本主義は政治家が私腹を肥やし,銀行が横領し,警察が賄賂を求めたら崩壊の一途をたどる。資本主義の繁栄にはプロフェッショナルがその役割を果たすことが欠かせない。
 健全な社会はスイスの市街のゴミが夜明け前に片づけられ,看護婦が病院で徹夜の看護をするような,儲かるからやるのではない人たちによって支えられている。これはむしろ,弱肉強食の市場原理で勝ちを占めることとは背反である。

愚民が愚者を選んだ結果

 市場原理が公正に働いて発展につながるには,買い手にも哲学が必要である。二番煎じを安く作った会社が繁盛するのは買い手に責任がある。ひどいテレビ番組が嫌なら,そこにあくどいコマーシャルを載せた会社の製品は買うべきではない。
 人真似製品やズッコケ・コマーシャルを買うからそういう会社がはびこる。その結果,なぜ日本は尊敬されないか・・・とつながる。真の原因は政治家,総理大臣,官僚,テレビ局・・・のどれでもない。われわれ大衆がそういう馬鹿げた反応をしているからなのだ。
 金のためには何でもするという拝金主義に走るな。幸せにはならず,結局は損をするぞ。
-■

(初出:トランジスタ技術,CQ出版社,1997年8月号 第34巻 第395号  連載14:経済大国は幸せになったか)

[NEXT ] 15: 何でも他人のせいか

ページのTOPへ