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いつかはキャパシタ / 堀 洋一

自動車のコマーシャルに「いつかはクラウン」というのがあった。クラウンは無理でも「いつかはキャパシタ」の時代は確実にやってくるだろう。
 昨年10月に開催されたEVS22は「純電気自動車の復権」の会議であった。つまり「内燃機関車→ハイブリッド車→プラグイン・ハイブリッド車→純電気自動車」という流れを多くの人が言いはじめた。10年前とは大変な様変わりである。
 ハイブリッド車は充電がいらないことが売り物だが,これを家で充電できるようにしてしまう。気づいたら今週はエンジンが全然かからなかったということが起こり,ハイブリッド車が築いた大きなマーケットはそのまま電気自動車に転化する。そういうことを吹聴していたら,ばかなことを言うんじゃないといろいろな人に怒られたが,今は有力なシナリオになってしまった。これが正しければキャパシタの出番は無限にある。
 キャパシタの特長は,(1)寿命が非常に長い,(2)大電流での充放電(とくに充電)が可能,(3)材料が環境に優しい,(4)端子電圧から残存エネルギーが正確にわかる,という4点である。とくに,充電が非常に速くできることと,電圧から残りのエネルギーが完全にわかることが重要である。
 私の研究室で作ったC-COMSではキャパシタをインバータに直結しているが,30Vから100Vまで動く。インバータの電源電圧は一定というのは,一種の固定観念である。30Vから100Vの間で動くということは,充電エネルギーの90%以上が使えることを意味する。電池ではできない。
 これらの特長から導かれる新しいライフスタイルは何か。それは「ちょこちょこ充電しながら走る電車のような車」である。数日分のエネルギーをもつことが大前提だった車に,外からエネルギーを供給する仕組みを作る。エネルギー供給の問題がなくなれば,乗り物を動かすアクチュエータは電気モータが最適であることは,鉄道が証明ずみである。電気モータの良さは無限にあり,将来は他を犠牲にしてでも電気を使うようになるだろう。これはオール電化住宅の意義を考えてみるとよくわかる。
 そもそも自動車会社の論理は非常にあやしいところがある。「いつでも,どこでも,だれでも」使える車,すなわち,1回ガソリンを入れると400kmも500kmも走り,速度も160km/hぐらいは出て加速もいい車でないと売れないという。500km車は明らかにオーバースペックである。1日20kmも走ればよく,速度だって100km/h以上出したことはない人も少なくないだろう。小さくてデパートの駐車場にとめるのが楽な車の方がよい。でも今は手に入らない。
 キャパシタ電気自動車が普通になれば,ネット上で適当な部品の組み合わせが選択できて,これこれの仕様でと入れると値段はいくらですと出てきて,2~3日したら家まで配達される。すでにパソコンはそういう買い方をしている。これは車の産業構造を変えるかもしれない。
 キャパシタは「エネルギーと知恵の缶詰(Can of Energy and Wisdom)」と呼ぶように,周辺の電子回路の知識がないと使いものにならない。これはかなり痛快なことである。またキャパシタの開発は一種の正義である。後ろめたい要素はほとんどない。昨年は中国やインドに行きいろいろ考えた。キャパシタによって彼らを,ひいては地球を救うこともできるだろう。技術開発に自信と誇りをもって後世に残そうではないか。
 「いつかはキャパシタ」になるのはいつか。しっかり見極める必要がある。少なくともエネルギー密度が既存の電池に等しくなるまで待つことはない。それは数年後か,十数年後か,数十年後か。100年もすれば,車はモータとキャパシタで動いていることは間違いないのだけれど。

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執筆者: 堀 洋一
ECaSSフォーラム/キャパシタフォーラム会長 東京大学生産技術研究所教授
東京大学大学院博士課程 1983年修了(電子工学)。
1983年、東京大学工学電気工学科に助手として勤めはじめ、1988年に助教授、2000年に教授となる。専門は制御工学とその産業応用分野。特に、モーションコントロール、メカトロニクス、電気自動車などへの応用研究、最近は福祉制御工学も。 

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